白銀ハウスの軌跡
- hachinoheshirogane
- 2023年11月16日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年2月2日



2022年5月、佐藤家の三姉妹で八戸市白銀の実家に行きました。
コロナ禍で全く使われていなかった建物は、外壁はボロボロに剥がれ、危険な状態になっていました。
長い間、父が耳鼻咽喉科医院として地域の医療に尽くしてきた建物も老朽化が進み、壊すのか、何かに再生するのか、を3人で話し合いました。
その結果、高額かけて更地にしても売却が難しいこともあり、不動産再生を得意にしている次女(中尾美々子)が中心となって、女性専用シェアハウスと民泊ができるような建物に再生することになりました。


塗装業者が外壁を修繕し塗り替える間、約3ヶ月間で家の中の溢れるほどの荷物をたくさんの人に手伝ってもらいながら片付けていきました。
使えるものはきれいにしてメルカリや海外のサイトに出品したり、骨董品などは専門業者に引き取ってもらったり、最後にはフリーマーケットにまで出品して、なるべく誰かに使ってもらえるように工夫しました。
その都度出る大量のゴミは車で何十回も市の廃棄センターに運んでもらい、少しずつ家の中は片付いていきました。



いよいよ8月には内装リフォームの段階に入りました。
依頼した業者が予算オーバーで来なくなり、経費を削減するために自分たちでペンキ塗装や壁紙はりをすることにしました。
お盆休み返上で来てくれた妹(武市えり子)と一緒に、エアコンがきかない中、汗だくで壁紙を貼ったりドアを塗ったり。
夜中まで頑張りました。
青森や弘前の友人もそのたびに車で駆けつけて、帰る時間のギリギリまで手伝ってくれました!
大きな家具の移動は八工大ラグビー部が頑張ってくれました。




それと並行して、壁紙やペンキの選定、家具とキッチンなどの手配をしていきました。
オンラインで依頼したアメリカ製の大きなソファや、ヨーロッパ製のキッチン、大きなカーテンやカーペット、その他何百点もの買い物はネットで購入しました。
受け取りは地元にいる業者さんや高橋夫妻にお願いしました。
また、かなりの広さであり、シェアハウスと民泊を並行してやるという前例が無いため、消防署や役所関係の手続きはかなり難航し、許可がとれるまで何度も通い詰めました。
