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蕪嶋神社調査その後

ホームページ暫定管理人のウミネコです。 ちょっとご無沙汰しております。 4月から花粉がすごくて、私はどうやらスギ、ヒノキ、そしてバラ科(サクラ!!!!)アレルギーがあるので、もう大変。




実は今月は八戸に訪れる機会がなく・・・

しかもアフターコロナと言っても、マスクは手放せない状態です。 (**´ >ω<)゙;`;:゙;ヘックション





さて、ここでも何度か紹介している八戸のシンボルの一つ、蕪島神社ですが、3月に調査に訪れたときに頼朝との関係の謎が解明されましたので報告いたします。


3月10日の投稿(もう1ヶ月以上も前!)で書きましたが、頼朝に仕えていたが、犯罪を犯して流刑されて八戸にきたという説がネットで書かれています。


残念ながら、八戸を代表する「八戸本」にも。

しかも禰宜(宮司の奥様)の解説が・・・(認識違いなだけだと思いますが)。



八戸本の記事・・・

それを確認しにいきました。


すでに頼朝は1199年に亡くなっているのです。


1269年は頼朝の死後70年なので時代が合わないのです。

そこで調べに行きました。


しかも永仁4年は西暦1296年であり、これも誤記。

1269年は文永6年で、北条時宗が第8代執権となった次の年である。




つまり、犬房丸の父上が、鎌倉時代(北条時宗)の家臣であっただけで、家系図を見ても源頼朝とは直接関係していたわけではなく、北条家である北条時政の筋であることがわかります。


どうしても時代が合わず、頭の中で???がたくさん湧いたのです。誰かが間違えているぞと。

なぜそこまで調査したかというと、私、ウミネコの和田一族は北条政子によって滅びたからである(笑)

和田合戦を調べていただければ出てきます。


これさえハッキリすれば気持ちが良いものだった。

さて、この蕪島神社はウミネコの保護地区でもあります。




ウミネコさんたちが帰って来ると糞害がすごくて、傘をさして歩かないと絨毯爆撃に遭います。


さて、蕪島神社のウミネコさんたちがなぜ「ウミネコ」と呼ばれる理由です。お楽しみください。





一件落着です!



蕪嶋神社調査その後
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